1949-07-07 第5回国会 衆議院 法務委員会 第32号
ところが政府も御承知のように、過去の事実をお調べになれば、こういうような——これがあるいは政治的な暗殺の最初の犠牲だというようなことも新聞に出ておるのでありますが、こういうことをやつたのは、極端なる反動的な國家主義者あるいはそういう團体に所属する人々がやつて來たのであり、共産党はかつてこういう暴力的な暗殺などというようなことをやつた事実はない。
ところが政府も御承知のように、過去の事実をお調べになれば、こういうような——これがあるいは政治的な暗殺の最初の犠牲だというようなことも新聞に出ておるのでありますが、こういうことをやつたのは、極端なる反動的な國家主義者あるいはそういう團体に所属する人々がやつて來たのであり、共産党はかつてこういう暴力的な暗殺などというようなことをやつた事実はない。
その後本格的に暴力團体を対象團体といたしまして採上げて解散をするようになりましたのは昭和二十三年六月からのことでありまして、御承知の通りそれまでは特別審査局の主力が極端な國家主義團体の解散、又は軍國主義團体の解散という面に指向せられておりました。で昭和二十三年六月頃からこれらの超國家主義的な團体、又は軍國主義的な團体と並びまして、暴力團体をも採上げることとなつたのであります。
戰爭前の思想彈圧の姿はどうであつたか、共産主義が惡い、社会主義がいけない、自由主義さえも彈圧して、そうしてただ一つ超國家主義的なフアシズムに駆り立てられたあの姿を、我我はここで再び思い起す必要がないであろうかどうか。いわば我々はそのような形で、馬車馬的に一方的な思想を上から強力に強いられたのである。
(拍手) 過般の本議場における乱鬪事件に関し、ある外人記者は、吉田総理が外人記者との会見において、民主自由党は保守反動にあらず、超國家主義にあらずと陳弁これ努めたその舌が乾かぬうちに、その愛する党員の中からその本性を現わしてしまつた、と皮肉つております。
過去におけるところの共産主義者は惡い、社会主義は惡い、自由主義さえも彈圧した、あのような思想の彈圧的な行爲、そうして超國家主義に走つた、そのようなやり方、思想彈圧の方向が、いわゆる精神の栄養失調を起しまして、今次の大敗戰の大きな原因であつたということをありありと我々は記憶しなければならない。
特に最近國家主義的な團体がその活動をたくましくして來て、その調査の必要が生じてきたとか何とかいう客観的に必要な事実がどんどん発生して來たために、こういう増額をされたものかどうか、この点をまず伺いたいのであります。
それから國家主義團体と申しますか、右翼團体が非常にたくさんあり、暴力團がたくさんあります。実はこれの調査に非常に手数がかかりますので、そのために実はずいぶん人を食われているのであります。御承知のごとく、最近そういう暴力團体を実は解散を命じております。しかしあの一つの暴力團体を解散を命じますためには、ずいぶん多勢の人手と金と時間とを使つている。
占領の当初においては、日本の事情もわからず、日本が軍國主義であり、國家主義であつて、非常に危険な國であるという感じで日本に臨んだ人はずいぶんあつた。また米國政府自身も、連合國の多くも、そういう考えで臨んだことであろうと感ずるのであります。実際は別といたしまして、感じとしてはそういう感じが多分にしたのでありますが、爾來三年やがて四年になろうとする今日において、気分は確かに変轉しております。
つまり大和報國運動なるものは、部落解放運動を大和一致運動として実践することによつてその目的の実現をはかつた、軍國主義的かつ超國家主義的な團体にほかならないという結論に達したのであります。 これが、昨年の八月に鈴木法務総裁のもとにおきまして解散團体として指定されたゆえんでありまして、その指定は決して違法でもなく不適当でもありません。まことに適当な措置であつたと考えるのであります。
今の秘密的、軍國主義的、超國家主義的、暴力主義的及び反民主主義的という言葉は、全部最初からあつたのであります。反民主主義的とは何ぞやというお尋ねでありやすが、これは読んで字のごときものであろうと存じます。しかしこの條文は実は第一條に加わつておりますけれども、具体的にはこの條文だけではこの政令は動かないのでありまして、この政令のほんとうに動きますのは第二條であります。
○委員(林百郎君) 私たちは秘密的、軍國主義的、極端な國家主義的、暴力主義的だけで、これらは反民主主義的な具体的な現われであつて、これで足りるんじやないかと思います。
これを見ますと「秘密的、軍國主義的、極端な國家主義的、暴力主義的及び反民主主義的な團体の結成及び指導」というようにあるんですが、この「秘密的、軍國主義的、極端な國家主義的、暴力主義的」というのと「反民主主義的」という、この概念がどういうような関係を持ち、また特に反民主主義的團体というのを入れたこの理由も聞いておきたいと思います。
○委員(林百郎君) この第一條ですが、「秘密的、軍國主義的、極端な國家主義的、暴力主義的及び反民主主義的な」とあるんですが、そうすると反民主主義的な團体というのは、秘密的、軍國主義的、極端な國家主義的、暴力主義的なものに入らなくて、なお反民主主義的概念があるのか、あるいはどういうものを反民主主義的團体の具体的な現われと見るのか、そこはどうですか。
一昨年末、英國がポンドの自由交換停止をいたしましたので、世界の貿易趨勢は物々交換國家主義的な立場においてなさるべきものであるとの意見が経済評論家の間に散見せられましたが、これは当時藏相ドールトン氏が、これはハード・カレンシー國からの輸入超過と、ソフト・カレンシー國への輸出超過の調整をなすため止むを得ざる措置であるという弁明をいたしましたが、果せるかな、数日前の新聞を見まするというと、佛國において開催
かようなものが特に暗黒勢力と申す程のものでありまするやらどうやら聊か疑いはございまするが、先般この席におきまして申上げました勅令第百一号を改正いたしました團体等規正令におきまして、その第一條に、「この政令は、平和主義及び民主主義の健全な育成発達を期するため、政治團体の内容を一般に公開し、秘密的、軍國主義的、極端な國家主義的、暴力主義的及び反民主主義的な團体の結成及び指導並びに團体及び個人のそのような
尚、昨四日、極端な國家主義、反民主主義團体の結成指導を禁止する團体等規正令というものが公布施行されました。この團体等規正令関係の特殊調査と、この非日活動委員会との関連如何、これを法務総裁にお尋ねして置きます。 最後に、治山治水及び森林の保全についてお尋ねいたします。治山治水及び森林の保全は、ややもすれば國の財政が豊かなときにやればよい事業のように思われております。併し決してそうではありません。
「この政令は、平和主義及び民主主義の健全な育成発達を期するため、政治團体の内容を一般に公開し、祕密的、軍國主義的、極端な國家主義的、暴力主義的及び反民主主義的な團体の結成及び指導並びに團体及び個人のそのような行爲を禁止することを目的とする。」それから第二條に、「その目的又は行爲が左の各号の一に該当する政党、協会その他の團体は、結成し、又は指導してはならない。」
これは非常に時代と逆行した一つのものの考え方であつて、將來地方税はお互いの親密な度合いの中に、地方行政が満足に、円満にやつて行けることのために、國税と違つて、また從來の日本の國家主義の思想、あるいは帝國主義の思想であつたかもしれませんが、國家権力で税金を取上げるという形でなくして、地方の自治体だけくらいはそういうものを適用しない。
松本治一郎氏は、昭和二十四年一月二十五日、殖田法務総裁から、軍國主義、超國家主義團体の役員であつたという理由によつて、一切の公職から追放される旨の通知を受取つておられるのであります。併し我々にとつて、この措置は全く納得行かないままに、その公職の期限は二月十四日と決められたのでありまするが、我々の嚴重なる抗議によつて、再審査の機会を與えられる予定で十日間の延長が許されたのであります。
大和報國運動本部は、勅令第百一号第一條第一項第二号、第三号、第六号、第四條第一号(イ)及び(ロ)に該当する軍國主義的且つ超國家主義的な團体として、同令第四條の規定によりまして、昭和二十三年八月十四日、法務廳告示第五十号を以て解散指定をしたのであります。
その内容につきましては前会申し上げましたので、簡單にブラジルのサンパウロ市の中央警察部保安課長アルフレツド・アツシス警視の報告書によつてこれを要約いたしますと、今次戰爭において日本の降伏せる八月十五日を境として、超國家主義的狂信的一部の日本人は、当國に居住する同國人、日本人間に、日本人は勝つたという誤れる観念を流布せり。
れて、そこで六・三制、アメリカの教育流に日本の教育を一度建て直さなければならんという主張、これは誤解と申せば誤解でありますが、これに余り強く反対でもすれば、日本では尚軍國主義を持つておるとか、或いは又軍隊を再建するつもりであるとかいうような誤解を招く虞れがあつたものでありますから、多少無理と思いましたが、六・三制の施行を承諾したのみならず、憲法その他も、日本に対する誤解と言いますか、軍國主義的、國家主義的誤解
「この政令は、祕密的、軍國主義的、極端な國家主義的及び暴力的な團体の結成並びにそのような行爲を禁止する」というふうに、特に重要な点は暴力主義的な團体の結成ということにあるわけです。その他細かい点は沢山改惡するのでありますが、それは申しません。特に暴力主義的なという中にです、この暴力主公的企図による政策の変更というものが掲げられております。單にこれは暴力團ではないのであります。
かくの如き体制の中に、國家主義的な勢力が、そうしてまた國家主義的な動きが、だんだん活発になつて参りました。 これらを通じて次に現われて参りました、各種の惨をきわめた全國民大衆に対する迫害は、もはやここに私が数え立てて申し述ぶることすら、みずから耐えがたく感ずる次第なのであります。
○委員長(伊藤修君) 今日の一般社会の通用から考えると、皇道というものが何だか超國家主義のように考えられる。多少そういう点を誤解しておる。その当時の考え方と今日の考え方との違いがあるが。
○委員長(伊藤修君) 当時としてそういう名前がよいのでありますが、今日としては、そういう名前が超國家主義のように考えられるのですが。
○委員長(伊藤修君) 今お尋ね致しましたことに関連しまして、要するに昭和六年以降の日華事変における軍國主義、帝國主義、國家主義というような思想に対して、貴方のお考え方はどうですか、滿洲事変の始まるころから今貴方にお尋ねした範囲において軍國主義、帝國主義、國家主義というものに対する貴方の御立場なり、お考えなりというものはどうですか。
○委員長(伊藤修君) 項目的にお尋ねいたしますが、あなたの追放公職就職当時より現在に至るまでのあなた及びあなたの関係者の公的活動状況はどうであつたか、殊にその軍國主義的、超國家主義傾向に関して詳述をお願いしたいと思うのですが。
やはりこれは解散された團体が主として日本の軍國主義的な、或いは強度な國家主義的な諸團体の解散であつたわけでありまして、こういう財産はポツダム宣言の趣旨から申しましても、亦その後連合軍の我々日本國民に対する種種の指示の趣旨から申しましても、こういう軍國主義的な團体の財産は、反対に民主主義的な、即ち日本において民主主義を培養し、更に又促進するというふうなものに主として充当されて行くことが私は本來の趣旨でないかと